2010年06月06日

2010.5.22 劇団四季『サウンド・オブ・ミュージック』(四季劇場・秋)

マチネ、1階9列(実質7列)上手側。

マリア:井上智恵
トラップ大佐:鈴木綜馬
修道院長:秋山知子
エルザ:坂本里咲
マックス:勅使瓦武志
シュミット:丹靖子
フランツ:川地啓友
シスター・ベルテ:佐和由梨
シスター・マルガレッタ:矢野侑子
シスター・ソフィア:あべゆき
ロルフ:飯田達郎
リーズル:谷口あかり
フリードリッヒ:笠原知也
ルイーザ:今井利奈
クルト:ラヴェルヌ拓海
ブリギッタ:石井日菜
マルタ:池戸優音
グレーテル:西山寿奈
濱本広洋指揮

使用人コンビと子役3人、指揮者以外は4月24日マチネと同じキャスト。
補足の感想メモとして一応こちらこちらをアップしました。いろいろな意味でたいへん見苦しいものですが、それでも構わないという方はどうぞ。


 前回舞台を観た時は、舞台版ならではの演出・表現に感銘を受けつつも「映画版は実に上手にアレンジしたなあ。映画版にはかなわわないな」と思わざるを得なかったが、今回は2度目の観賞というせいもあるのだろうが、映画版のことを完全に忘れて舞台版の素晴らしさに浸ることができた。
 良席を譲っていただけたおかげで、演出や役者の細かい演技についてより詳しく観ることができたように思う。もちろん、アルプスの頂上に乗った大人たちの顔もしっかり視界に入る。ラストシーンのカタルシスは、前回の3階席立ち見席では到底得られないものであった。
 1階席で観劇して特に印象に残ったのは、演出が客席も巻き込んだ舞台づくりをしようとつとめていることだ。第1幕冒頭、修道院長のリードに従い修道女たちが聖歌を歌うが、歌いながら修道女たちは舞台を降り、客席通路を通って扉から外に出てゆく。舞台だけでなく劇場全体を教会に見立てた演出だ。
 また第2幕、トラップ一家が参加するザルツブルク音楽祭のシーン。舞台転換と共に、銃を構えた突撃隊員たちが客席から舞台上へと昇ってゆく。そして、一家のしんがりで舞台に現れたトラップ大佐役の鈴木綜馬が1階席前列を刺すような視線でねめつけた時、1階席9列目(実質7列目)上手側に座っていた私は演出の意図をはっきりと実感できた。客席に座る我々観客がこの1938年度(?)ザルツブルク音楽祭の観客に見立てられているのだ、と。観客席の前列を占めるのはおそらくナチスの幹部たちだろうし、観客のほとんどもナチスの息のかかったもの、そこまでゆかずともアンシュルスを歓迎した者たちであろう。今となってはもはや、我々観客=ザルツブルク音楽祭の観客全体が、彼らの敵といっても過言ではないのだ。しかし、それだったら客席内にも突撃隊員を配置するくらいしてほしかった気もする。役者の数の問題で不可能なのだろうが。

 開幕から2ヶ月足らずだが、前回から演出・演技共に変わっている個所も多かった。演出家が細かく手を入れているのかもしれないが、役者ひとりひとりが積極的・自発的により良い舞台を目指しているのもうかがえて好感を持った。坂本里咲のエルザと勅使瓦武志のマックスはもはや鉄板と呼びたくなる存在感と演技だったし、アンサンブルひとりひとりもしっかりと舞台版『サウンド・オブ・ミュージック』としての世界を構成していた。
 今日の舞台のMVPは子供たち。前回の舞台でも健闘していたが、今回ははるかにレベルアップしていた。単に「ここでこう演じる」「ここで歌う」ではなく、演技も歌唱もしっかり自分のものとして消化した上で、舞台の上で「生きて」いた。したがって子供たちひとりひとりの人物像が嫌みなく浮かび上がり、それぞれに感情移入できる。1ヶ月足らずでこの進化は結構すごいことだ。6人の子役たちを率いる谷口あかりのリーズルも、7人兄弟の長姉として、良家の娘として、そして大人への階段を上りかけた少女としての姿を見事に表現していた。舞台上の彼らの生き生きとした演唱から、どれほど元気をもらったことか。
 井上智恵のマリアは今回も盤石。最初から最後まで素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。演技も申し分ない。ちょっとやそっとの困難ではたじろかない、たくましくおおらかな井上マリアはおおいに好みである。前回と良い意味で印象が変わらない、というべきか。
 一方、鈴木綜馬のトラップ大佐は、端正さや気品や威厳はそのままながら、前回よりずっと感情表現がストレートになっていた。実に表情豊かで、よく動く。台詞まわしも(四季独特の発声法を守りつつ)前回よりはるかに感情をあらわにしたものだった。憤りにせよ悲しみにせよ好意にせよ愛情にせよ、思っていることがそのまま顔や態度に出てしまう、といった感じだ。第1幕前半、必要以上に厳格であったり冷淡な態度をとる時すら、そのこわばった無表情が「思春期の子供が自分の気持ちに素直になれず、自分にも他人にも隠しているつもり」と同種のものに見える。結果、良くも悪くも精神的には少年のまま大人になってしまった人物像がよりはっきりと見える演技になっていた。
 そして興味深いことに、この一種トラップ大佐の欠点や弱点をあらわにしたような演技が、舞台版のこの役にいっそう感情移入しやすくさせていた。前回私は、舞台版のちょっと困った人としての大佐像は一歩演じ方を間違えると情けない人物になりかねず、役者のある程度抑制された演技によって救われていたと感じていた。しかし今回の舞台を観た後だと、逆に前回抑えた演技だったからこそ、このキャラクターの人間らしい魅力が伝わりづらかったのでは、との疑いが生まれてしまう。
 今回、「鈴木さんってこんなに熱い演技をする人だったのか!」と客席で圧倒されていた私だが、もともときちんと整った雰囲気の、正統派二枚目といっていい役者だからこそ、より情熱的なアプローチが映えたのかもしれない。もちろん、彼の演技自体が非常に的確で優れたものであったおかげでもあるが。実は今回の彼のパフォーマンスで一番痛烈に印象に残ったのは、彼の背中での演技だ。たいへん恥ずかしながら、私は彼が背中でここまで感情表現のできる役者だとは知らなかった。また台詞のないシーンでも、7人の子供たちそれぞれに向ける視線や表情、ボディランゲージなど、実に細かい目配りの利いた演技をしていたことも特筆される。
 そして忘れてはいけない、あのたたずまい・所作の、きわめてナチュラルな優雅さ。あれが嫌味にもいたたまれない感じにもならず、ごくごくさらっとできてしまう日本人の役者は決して多くはないだろう。若き日に劇団四季で正統派の主人公役を演じ続けた賜物か、ともかくも一朝一夕に培われたものではない。彼の発する、独特の「清潔な色気」ともいうべきフェロモンにはすっかりお手上げ、これではマリアが彼に落ちるのも当然だと心から納得できた。
 彼の歌唱自体は、前回の方が好調だったかもしれない。前回ほどには低音がきれいに響いていなかったように感じた。その代わりというわけではないが、高音部が実に伸びやかで、‘Something Good’などは快感だった。そしてあの‘Edelweiss’。泣きながら歌うのでは決してなく、声そのものに涙が深く浸み込んだような歌声で歌われた‘Edelweiss’は、前回とは異なった次元の感動を与えてくれた。
 誇り高くもどこか幼く傷つきやすく、困難な状況下ひとり生きてゆくにはあまりに一途でナイーヴに過ぎる鈴木大佐と、揺らぐことなくどっしりと優しく彼を支える井上マリア。まさに名コンビであった。

 長くなってしまったが、ミュージカルの舞台にこれほどまでに没頭できたのは本当に何年ぶりだろうか。カーテンコールではスタンディングオベーションをしたのも久しぶりだ。舞台はナマモノ、巡り合わせではあるが、名作の素晴らしさをストレートに伝えてくれた今回の舞台と巡り合えたことは本当に幸運だった。
 チケットを譲って下さった方に心からの感謝を込めて、感想を閉じたい。
posted by ぶらっくたいがあ(元ユルシュール) at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台鑑賞(ミュージカル) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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