2010年06月06日

2010.5.22 劇団四季『サウンド・オブ・ミュージック』第1幕感想メモ

2010.5.22 劇団四季『サウンド・オブ・ミュージック』マチネの感想メモ・第1幕編。
脚本・演出などのネタばれあり。

○Praeludium~Sound of Music
 修道女たちの祈祷から始まるこの作品。舞台を降りて1階通路を通る女声合唱。間近で聴くポリフォニーが耳に心地よい。
 ‘Sound of Music’。井上智恵のマリアは今日も前回と同様好調、安定感に満ちている。低音から高音までよく伸びるふくよかな温かい声は、愛嬌のあるファニーフェイス(失礼)と明るくおおらかな雰囲気ともども、この役にぴったりはまっているように感じる。

○Maria〜My Favorite Things
 マリアについて議論するシスター3人の見分けがやっとつく。小柄で眼鏡姿のシスター・ベルテ(批判派)、丸顔がキュートなシスター・マルガレッタ(擁護派)、このふたりよりやや若そうな雰囲気のシスター・ソフィア(中立派)。特に後者ふたりはややオーヴァー・アクション気味なくらいによく動いていて、楽しかった。
 名曲‘My Favorite Things’。いい曲、いい歌だけに、もう少し体調が良ければ心から堪能できるのに……ともどかしい。

○I Have Confidence〜Do Re Mi
 楽天的で元気いっぱいなマリアがたどり着いた先のトラップ邸。使用人ふたりが前回とは違うキャスト。
 いかにも長年この屋敷に仕えてまいりました、という雰囲気の丹靖子のシュミット。このようなベテランがひとりいるだけで、本当に舞台が引き締まる。長身痩躯で強面な川地啓友のフランツ。結構怖い雰囲気だが、そのせいかかえって子供たちに向ける視線の温かさが印象に残った。とっつきにくそうだけれども実はそんなに悪い人ではないようで、でも……という感じ。
 トラップ大佐登場。今回は出て早々、台詞を飛ばしたように聞こえた(一瞬不自然に感じた個所があった)が気のせいか。お祈りしているマリアの背後で踵を鳴らすのは、前回よりもはるかに弱く、そっと注意を促すような感じだった。
 子供たち登場。前回もくすくす笑いが広がっていたが、今回はどっと笑いが起きていた。クルトとマルタとグレーテルが前回と違う子。
 「ドレミの歌」の直前、他の子供たちがマリアを囲み一斉に話しかけている間、ひとりギターケースを開けようとしてあわてて閉めるブリギッタがかわいい。フリードリッヒは前回と同じ子だったが、「ドレミの歌」では今回の方が最初からノリが良さそうで、マリアが歌いだした時から興味しんしん、でも姉さんの目が気になって無関心を装うけれど……という演技が面白かった。

○Sixteen Going to Seventeen
 やはり飯田達郎のロルフはいい。どこにでもいそうな普通の思春期の男の子という雰囲気がいい。その後の展開も含めて、当時のオーストリアにはきっとこのような若者が大勢いたのだろうな、と思わせてくれる。歌声もほどよく甘くさわやかで好感が持てる。前回は三階立ち見席から観ても髪型があまり似合っていないように感じたが、今回は少し手を加えたらしく、違和感は覚えなかった。彼と、谷口あかりの愛らしいリーズルとのダンスシーン、別れ際の一瞬のキスシーンともども、前回に比べて青春の甘酸っぱさがアップしていた。

○The Lonely Goatherd
 マリアの部屋に忍び込んだリーズルのずっこけ方は前回の方が豪快だったような気がする。続く‘The Lonely Goatherd’は、井上マリアの見事なリードに導かれた、いや自発的に動き歌う子供たちの生き生きした演唱が心を躍らせる。停電後の展開など楽しくて楽しくて。舞台上の子供たちからパワーをもらっている気分。

○Sound of Music(Reprise)
 エルザの鬘が栗色で驚く。前回、3階席最後尾(立ち見席)から観た時はブロンドに見えたのだが……終演後、雑誌に載っている写真などを観てみるとやはり栗色。見間違いか記憶違いか、それとも照明の加減のせい?
 婚約者と友人の前では実に表情豊かな大佐。どことなく、家の中では居場所を見つけられない若者が、外で友人と一緒にいる時にはうってかわって生き生きしている姿と共通するものを感じてしまった。
 「ハイル・ヒットラー!」とやらかしてしまったロルフが逃げ帰った後も憤懣やるかたない大佐、「わたしはオーストリア人だ、ナチスの敬礼は受けない!」前回はこれほど激しく言っていなかったような。
 エルザの賛同を得られず憮然としたところに飛び込んできたマリアと子供たちの惨状(彼にとっては)。小さい子供たちが父親の姿に喜んでまっすぐに飛びついてくるのも何のその、かあっと表情が激高するのと全く同時に呼子を取り出し吹き鳴らす。ほんの一瞬のできごと。父親の命令を聞くなりマリアに口々に訴える子供たちが印象的。結局退場する子供たちの行進、しんがりのマルタの恨めし気な視線を受けて呼子の音が弱々しくなるところは今回もほろ苦く笑えた。マルタ、本当に大喜びでお父さまを迎えていたものなあ……。
 その直後の、カーテンの遊び着をめぐるマリアと大佐のやりとりには観客大受け。確かにあれは漫才だ。しかしマリアが、子供たちに愛情を注いであげて、と子供ひとりひとりのことを挙げながら大佐に訴え始めると、空気が変わってくる。
 このシーン、前回はマリアと大佐は向かい合って立っており、大佐は子供たちの望みを懸命に伝えようとするマリアの言葉を何度もさえぎろうとした。しかし今回は、大佐はマリアの訴えが始まると彼女に背を向けて歩き出し、下手端、袖のぎりぎり手前にゆきつくまで立ち止まらない。そこで耐えかねたように足を止め、反論をひとつふたつしただけで後は黙り込んでしまう。微動だにしない。上手側からは、彼の表情は全く見えない。マリアに言わせるだけ言わせ、ためてためて、マリアが訴え終えたところで、背を向けたまま「もうやめろ!!」
 彼は背中で、彼女の言葉を拒絶していた――拒絶しようともがいていた。何かをこらえるように、ややうつむき加減でこわばらせた背は、彼の心をそのまま表していた。(※1)

 そして、子供たちの‘Sound of Music’。子供たちが歌を!? と、先ほどまでの激情の勢いのままに振り返った彼の背中のこわばりが歌を聴くうちにほどけ、そしてかすかに震え……観賞直後につけた感想メモにはこう書いてあった、「さあっと泣き濡れてゆく、彼の背」。彼はぽつりと口を開き、その言葉は歌となる――
 ――喜びに心躍る 歌声に誘われて
   聞こえるさ ああ サウンド・オブ・ミュージック
   もう一度
 鈴木綜馬がこれほどまでに「背中で語れる」俳優だとは、恥ずかしながら知らなかった。上手側の席で良かった、と心の底から感謝した。そして、あの声。あの歌。
 幼い娘たちはまっすぐに父親に駆け寄り、抱きつく。次男坊のクルトは妹たちのように飛び込んでゆくのを躊躇する。父と目が合い、思い切って手を差し伸べるクルト。応えて伸ばされた父の腕ががくがく震えていたのを見た瞬間、胸がいっぱいになってしまった。(※2)このあたりのシーンでは前回も「打ちのめされた」と書いたが、今回はもっと重い衝撃だ。こみあげてくるものを歯を食いしばってこらえ、飲み込んだ。
 握手を交わし、踵を打ち合わせる敬礼を交わした後、父と抱き合うクルト。それをきっかけとしたかのように、ルイーザ、そしてフリードリッヒも続く。残ったのは最年長のリーズル。見つめ合う父娘。やがて、父は弱々しく、「おいで?」というようにかすかに腕を開く――顔を涙でくしゃくしゃにした娘は、父の腕の中に飛び込んだ。私は必死で奥歯を噛みしめた。あの光景は今でも脳裏から離れない。弟妹やエルザと共に退場する直前、リーズルがマリアに感謝のまなざしを向けたのにも参った。
 子供たちを見送った後マリアに向き直った大佐の声は、ひどくくぐもりかすれていた。役者自身、本当に泣いてしまっていたのだろう。彼はおかしな声のままマリアに「きみが必要だ、きみは我が家に歌を取り戻してくれた、わたしは長いこと忘れていた」と訴え、おかしな声のままマリアと歌い、そのまま退場してしまった。
 このようなシークエンスの直後だったからこそ、安堵したマリアがお菓子を盗み食いしてエルザに見つかったり、マリアがあと数ヶ月で修道院に戻り修道女になると聞いてやたらと喜んだりする姿には他の観客と共に声を挙げて笑ってしまった。まさに「緊張の緩和」。
 とにもかくにもトラップ家の親子間の問題は解決し、私は自分の体調不良を完全に忘れ去っていた。

(※1)逆に、「家に帰る理由を探している」大佐は実は、この時点ですでに半分「落ちて」いる状態にあるともいえる。これは前回も感じたことで、少なくとも役者はそう解釈して演じているのではないか。
(※2)前回は父親の方が先に手を差し伸べた記憶がある。

○Landler〜So Long, Farewell
 パーティーの冒頭、ナチス・ドイツの併合について来客の間で口論が起こるのだが、口論していた親ナチ派の客が第2幕に登場する感じ悪いナチ高官と同一人物なのに今回初めて気づく。
 また後のシーンで、遅れてパーティーに参加したエルザが、その親ナチ派の客夫妻と談笑しているのも前回は見逃してしまっていた。口論の直後、ホストの大佐が反ナチ派の客夫妻だけに親しげに挨拶し、露骨といってもいい態度で自分の政治思想を示したシーンの後なので、ふたりの思想や立場の違いがさりげなく浮き上がる。
 レントラー舞曲。「マリア先生、どうぞ」ダンスの相手を申し込む大佐のマナーの、まるで息をするように自然な優雅さ。気取りも構えもわざとらしさも、微塵も感じさせない。
 前回はマリアと大佐の恋愛模様が見事なすっ飛ばしで、超展開! と突っ込みを入れずにはいられなかったのだが、今回はそういう気にならなかったのは、このダンスがふたりの仲の深まってゆく過程を表現したものである、とはっきり理解できたから。3階最後列立ち見と1階席7列目という、舞台からの距離の違いのせいもあったろうが。
 はじめはクルトに「こういうふうに踊るんだよ?」と目配せする余裕のあった大佐の視線が次第に熱を帯び、真剣そのものになってくる。その視線に、そして今まで覚えたことのない感情の揺れに、あのマリアの顔が赤らんだり青ざめたり。ダンスの終わり、思わずのめり込むようにマリアの両手にキスしそうになってしまう大佐を目撃した私は、心の中で叫んだ。

「けしからん!!
惚れてまうやろ!!」

 こういう行動が嘘っぽくも気持ち悪くも淡白にも気まずい感じにもならず、ダンディズムとエロティシズムの絶妙なバランスのもとにさらっとできてしまう、似合ってしまう日本男性というのは、そう多くないのではなかろうか。これではマリアがぐらついても当然である。
 大佐を異性として意識し恋していることに気づいてしまったマリアの狼狽も、今回の方がよく表現されていたように思った。ブリギッタの指摘への反論にも全くといっていいほど余裕がない。
 マリア先生をディナーに招くつもりだ、と意気揚々と語る大佐に対するマックスの台詞「冗談だろ? 住み込みの家庭教師だぞ?」は、彼らと一緒にいるエルザを思いやっての言葉に聞こえた。大人で、心遣いの細やかなマックス。それに比べて大佐ときたら……。
 大佐は自分でマリアをディナーに誘う。「そうだ、あのドレスがいい、白くて!」もはやあふれる好意をまるごとストレートに態度に表さずにおれない大佐の姿は、恋する青年(!)そのものである。初々しい、といってもいいくらいだ。もし私がエルザでこの光景を目にしていたら、政治思想の違い云々以前にこの時点でこの男とは別れるだろう。マリアが黙って家を出てゆくのも、納得だ。
 ‘So Long, Farewell’、やはり子供たちひとりひとりが個性を発揮しているのが気持ちいい。また、子供ひとりひとりに向ける大佐の視線がいい。男の子女の子、年頃の長女から幼い末娘まで、それぞれに応じて向ける視線が違う。そして、どの子も心から愛して大切にしているのが伝わってくる視線だ。

○‘Climb Every Mountain’
 マリアが修道院に帰ってきた理由に気づいたシスター・マルガレッタのびっくり顔が楽しい。こういう表情は、舞台に近い席の方が断然楽しめる。
 修道院長役の秋山知子は、声の調子自体は前回の方が良さそうだったが、一番の聴かせどころに声のピークを合わせてぶつけてきた歌唱の威力はさすがだった。
posted by ぶらっくたいがあ(元ユルシュール) at 16:00| Comment(0) | TrackBack(2) | 舞台鑑賞(ミュージカル) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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