2010年06月06日

2010.5.22 劇団四季『サウンド・オブ・ミュージック』第2幕感想メモ

2010.5.22 劇団四季『サウンド・オブ・ミュージック』マチネの感想メモ・第2幕編。
脚本・演出などのネタばれあり。

○前奏曲〜My Favorite Things(Reprise)
 マリアが去った後の、テンション低いトラップ家。子供たちのだらけ具合が実にいい具合。全員が、本当にナチュラルに動いている。グレーテルがマックスにしゃぶられた指を思いっきりスカートで拭うシーンは今回も大受けだった。
 受けるといえば、大佐の態度に機嫌を損ね退場したエルザの後をマックスが追うシーンでも大きな笑いが起きた。マックスの台詞まわしと間の取り方が絶妙。大佐の表情も。
 何とか子供たちを元気づけようとするものの(今回は「ドレミの歌」をミまで歌っていた)、逆に自分が一番落ち込んでいることを子供たちの前で露呈しただけで退場する大佐。子供たちを喜ばせようと報告したエルザとの婚約も、もはや彼自身が心底から喜んでいるわけではないことが無言のうちに伝わってくる。だから子供たちもますます喜べないのだ、ということも。「分からない、何か原因があるはずだ」本当に途方にくれた、真の原因になど思い当たりもしないといった表情だけに、観ているこちらがもどかしい。
 父親が去っていったあとを、心配そうに途中まで追いかけるルイーザ。父親に結構ひどいことを言われた(「お前、マリア先生に何かいたずらしなかったか?」)直後だけに、じんときてしまった。彼女は、この駄目な部分もある、精神的には自分たちよりも幼く弱い父を愛しているのだ。彼女だけでなく、子供たちみなが。
 ‘My Favorite Things’、はじめお祈りするように手を組んで歌うルイーザやマルタの傍らで、ブリギッタは小さな前ならえのように腕を曲げ、こぶしをぎゅっと固めて歌う。ここにもじーん。やがて全員で手をつなぎ輪になって歌う彼らのもとにマリア先生が! 父親を連れてきた(「連れてきたよー!」と元気いっぱいなマルタがかわいい)後、リーズルの采配で? とっとと撤収しふたりきりにしてしまう子供たち、なんともにくい。
 この後の大佐の表情はマリアの言葉にころころと変化して、観ていて非常に楽しい。「どうして出ていったんだ、さよならも言わずに」と不機嫌に問い詰め、問題が解決したので帰ってきましたという彼女の言葉を聞いてぱあっと目を輝かせて「じゃあ、これからもずっとここにいてくれる?」次の家庭教師が見つかるまで、との返事に、「子供たちにはきみが必要だ」と真摯に答えつつ「……いや、ぼくにも」と小声で付け加えるところといったら、もう。「とにかく、今は子供たちと」と言う時にはすっと父親の顔になり、しかし「その新しい服は?」と尋ねる時には実に嬉しそうな、少年のような表情。変幻自在。ここの台詞、前回はここまで嬉しそうに言っていなかった記憶がある。マリアが何とか落ち着いた態度を保とうとしているのとは対照的。

○(No Way to Stop It)
 マックスが以前からナチスに接近していたらしいことに、うすうす気づいていた大佐。しかし、“柔軟に”振る舞うべきとのマックスの主張に賛同するエルザに、「本当にそう思っているのか!?」と、信じられないと言わんばかりの表情。彼女の方は思いもよらなかったのだろうか。
 「きみが何をしても無駄ってことさ!」マックスにいつになく強く言い切られた大佐の、打ちのめされた、脱力したような後ろ姿が目に焼き付いている。どうにもこうにもならない現実、親友や婚約者にまで自分の信念を否定され、打ちひしがれた彼は、しかし、エルザがそっと重ねた手から、自分の手を静かに引き離す――わたしはオーストリア人だ、自分に嘘はつけない、ぼくにそんな生き方はできない!
この期に及んで彼が、いわば開き直ったことがはっきりと分かった。彼は絶望的な現実と自分の孤独を認識させられた上で、なおも信念を貫く決意をし、そのように振る舞う。前回は、大佐のかたくなさに手を焼くエルザやマックスの方に同情、というより共感してしまった私だが、今回は、「いや、この人に器用に生きろと言っても、それは無理な話では……」と、素直に大佐に感情移入できた。ちょっとした演技のニュアンスの違い、それを感じ取れるか否かでこれほど印象が変わるとは。それにしても、決意を固めた大佐の一挙手一投足がいちいちかっこいいのはどういうことだろう。無論声もかっこいい。

○Something Good
 結局、別れることになった大佐とエルザ。前回はエルザの政治的態度に拒絶反応を起こした大佐の方からまず手を離した、という印象が強かったのだが、今回は、双方が同時に関係に見切りをつけた、という感じに映った。
 「ねえ、あたしのようには考えられないの?」「ああ、きみが奴らと同じように考える限りはね」そのまま破局へと流れ込むこのやりとり以降、エルザが退場するまで、大佐は客席に背を向けたままほとんど動かない(せいぜい、マリアが来た時に彼女の方に顔を向けるくらい)。あの、決意や決別や哀しみやかすかな未練など、さまざまに混じり合った感情を、見事に背中で表現していた。
 別れ際、エルザは大佐と握手を交わし、<では、さよなら>と手を放そうとするも大佐は離さず、そのまま彼女の手に口づけする。前回も同じことを感じたが、男と女の違いがはっきりと出ているシーンだ。ほんとに男って奴は、なんでこの期に及んでそんな濃厚なキスするのやら! 非常にさまになっているだけに、余計叫びたくなる。
 マリアは大佐に慰めの言葉をかけようとするが、やがてふたりは互いの本当の想いを吐露し合うに至る。自分の想いに気づいて怖かった、と言うマリアに大佐は、「いつ気づいたの?」「ブリギッタが……」「あの子は真実を見抜く!」前回は「ああ、あの子はやはり見抜いていたのか……」というようなニュアンスで発していたような記憶があるが、今回は嬉しそうに、誇らしげに言っていた。
 そして‘Something Good’。自分の居場所を見つけたマリアの女らしくしっとりと落ち着いた歌いぶりに対し、大佐の恋心あふれんばかりの歌唱と表情といったら! その昔の、芥川英司のラウルやトニーがどんな感じだったかよく分かる、そんな歌いぶりだった。高音が実に伸びやかで気持ちいい。「この結婚を、誰に申し込めばいい?」「もちろん子供たちに!」手をつないで家の中へ駆け去ってゆくふたりの希望にあふれた後ろ姿が微笑ましい。

○‘Maria ’
 結婚式前、花嫁姿のマリアに感涙するシスター・ベルテにしんみり。
 結婚式では、女の子たちは新婦側、男の子ふたりは新郎側に陣取るのだが、式の始まる直前にフリードリッヒが父親と踵を鳴らして祝福(と激励?)の挨拶を交わす。前回は父親の方から鳴らしていたが、今回はフリードリッヒの方からだった。クルトとのボディランゲージともども、父と息子たちの関係がうかがえるいいシーンだ。
 女声合唱は絶好調、新郎新婦の美しさも絶好調であった。

○Sixteen Going to Seventeen(Reprise)
 グレーテルの自然体な演技が実にかわいらしい。いわゆる子役らしいかわいらしさというより、5、6歳の女の子そのもののかわいらしさで、台詞もいかにも台詞という感じがしない。めんこいなあ。
 新婚旅行から帰ってきた両親にブリギッタがザルツブルク音楽祭のポスターを見せるタイミングが絶妙。もちろん客席大受け。
 音楽祭参加に反対する大佐の説得をマリアに断られたマックス、「じゃあぼくから話すよ」前回よりも穏やかな口調だったが、このままじゃきみたちもぼくもどうなることか、と抑えた声で吐き捨てる彼にはかえって迫力があった。
 その様子を見ていたリーズル、「お母さまはあたしたちだけじゃなく、お父さまのことも愛して下さっているのね」実は前回一番心に残った台詞だったりするが、今回もずしりときた。トラップ家の子供たちに理解者が必要だったように、あの父親にも彼の信念を理解し受け入れてくれる人が必要だったのだ。
 令状を届けにきたロルフは、前回は冷淡な中にもちょっとふてくされたような、内心ではまだリーズルに後ろ髪を引かれているような印象を受けたが、今回はよりそっけない感じだった。
 泣いて走り去るリーズルとぶつかりつつ入ってくる大佐は、すでに打ちのめされた様子。たたずまいにも声にも動揺の色を隠せない。このような表現は、前回よりも今回の方がずっと明瞭になっている。「マリア、助けてくれ」声を絞り出しすがる彼を、揺るがず騒がず、しっかりと支えるマリア。
「あなたが決めて。信じてる」
 静かに発せられたこの言葉が、どれほど大佐の救いになったことだろう。そのことが痛いほどよく分かる。今回の舞台で、一番心に響いた台詞だ。「ありがとう」と彼女を抱き寄せた大佐は、毅然とした態度でナチ高官たちを迎える。

○‘Do Re Mi'(Reprise)〜‘Edelweiss’〜‘So Long, Farewell’(Reprise)
 ‘Edelweiss’、妻子に歌いかけるように始める大佐。歌の繰り返しに入ったところで彼は客席じゅうに視線をさまよわせ、顔がゆがみ……歌がやんだのは、孤独と絶望から。客席に座る我々全員が、もはや彼の敵といってもいいのだ。
 その父親を支えるようにまずクルト、次にリーズルが声を重ね歌い継ぎ、そして家族全員が声を合わせて歌い出す。(※3)息子の歌声に振り向いた大佐の表情がくしゃっと泣きそうになったのには、胸を衝かれた。またこの瞬間、舞台袖で一家を監視していたナチ高官(第1幕のパーティーで口論していた親ナチ派の客と同一人物)が、虚を突かれ我を忘れたかのような表情になったのも印象的だった。次の瞬間には我に返りあわてて部下に指示を飛ばすのであるが。
家族に守られ支えられ、顔を上げまっすぐに客席を見据えて歌いあげる大佐。会場いっぱいにしみわたる歌声。その姿と、涙の浸み込んだ歌声に、完全に魂を奪われた。前回は「このような声で「エーデルワイス」を聴きたかった!」という感激が大きかったのだが、今回はそのような次元の問題ではなかった。
この後はもはや半分抜け殻のようになってしまい、‘So Long Farewell’(Reprise)もその後の展開もぼうぜんと見守るばかりだった。なぜか笑いが起きていた部分もあったようだが、なぜ笑いが出るのかさっぱり理解できなかった。というより、客席の笑いすら遠い世界の出来事のように感じられた。
‘So Long Farewell’、最後から2番目の“Good bye”は身を呈して一家を助けてくれるマックスに心から感謝を込めて。大佐とマックスの握手は双方の万感の思いが込められているかのように長かった。そして、最後の“Good bye”は、我々に――ザルツブルク音楽祭の観客に向けて。我々に手を振るトラップ夫妻を見て胸がいっぱいになり、拍手するのも忘れてしまった。

○‘Climb Every Mountain’
 修道院に逃げ込んだトラップ一家がロルフに見つかってからの展開は、映画版よりもこの舞台版の方がはるかに好きだ。ロルフの決断自体はもちろん、その決断に至るまでの描写そのものも舞台版の方がよりリアルな緊迫感が感じられる。(長々話し込むよりも永遠に近い無言の一瞬)。
 山越えの決意をする直前、向かい合って立ち見つめ合うマリアと大佐が強烈に印象に残っている。子供たちひとりひとりを見つめ、山越えを決める大佐の姿も。
 修道院長と修道女たちの合唱、アルプスに立つ一家の晴れ晴れとした顔を見て、言いようのない明るいカタルシスを覚えた。ゼロからの出発、待ち受ける困難は多くとも、彼らには愛と希望と歌がある。素晴らしい幕切れだった。

(※3)映画版ではマリアが歌い継いだはず。個人的には、子供たちの中にマリアも溶け込み家族全員で支え合うような今回の舞台版の方により心惹かれる。
posted by ぶらっくたいがあ(元ユルシュール) at 16:05| Comment(0) | TrackBack(2) | 舞台鑑賞(ミュージカル) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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